こんにちわ、梅雨も明け、セミの鳴き声と強い日差しで季節はすっかり夏の様相を見せていますね!
自主派遣隊では来週7月27日に最後の会同の実施を予定しています。
第3次自主派遣隊は8月17日を出発予定としており、残された時間は一ヶ月を切っています。
現地で円滑な活動をするためには事前準備が周到な不可欠です!
残された時間がたとえ1日であっても事前準備に有効活用してゆきます!
さて、今回は戦友会について取り上げてゆきたいと思います。
戦友会とはかつて大東亜戦争中に同じ部隊などに所属した方同士の会のことで、主に戦死させた方の慰霊や親睦を目的としています。近年では戦友の方の以外にも遺族や有志が会員となれる会もあります。(理由はあとで述べます)
戦友会 - Wikipedia
かつては多くの戦友会が開催されており、シンガーソングライターのさだまさしさんの歌にも出てきたほどです。
日本国民男子のほとんどが出征していたことを当たり前とも言えますが・・・
しかし終戦から68年が経ち、近年では会員数の減少、高齢化のため解散する戦友会も多くあります。一方で遺族や有志の参加を認め、存続をはかる会もあります。全国ソロモン会でもこれを認めており、私は戦友ではありませんが全国ソロモン会の会員です。
お寺や神社、公園などの片隅にひっそりと佇む慰霊碑、忠魂碑などをよく見ると「○○会」「△△生存者の会」と書いてあり、往時を偲ぶことができます。似たものとしては靖国神社の境内に植えられている桜にかけられている看板があります。
戦友会ではかつては独自で厚生省(当時)、外務省などと折衝し、実戦を経験された方々が遺骨収集団を組織されていました。(当時の映像をYOU TUBEに公開しましたので是非ご覧下さい。)
我が自主派遣隊も先輩方の活動を見習って始まりました。
ガダルカナル島自主派遣隊は全国ソロモン会とJYMA日本青年遺骨収集団と第二師団勇会が活動母体となっています。
今回は実際の戦友の方々は参加されませんが、先輩方の思いを若い世代でしっかりと噛み締め、現地では活動いたします!
ブーゲンビル島遺骨収集① 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集② 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集③ 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集④ 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集⑤ 昭和43年 全国ソロモン会
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<告知>
第一次自主派遣隊の活動が「歴史群像」に掲載されました!
2012年8月に行いました第二次自主派遣隊の活動を紹介するスライドがYOU TUBEにて公開されましたのでご紹介いたします。
第一次自主派遣隊のスライドも引き続き公開中です!
自主派遣隊では来週7月27日に最後の会同の実施を予定しています。
第3次自主派遣隊は8月17日を出発予定としており、残された時間は一ヶ月を切っています。
現地で円滑な活動をするためには事前準備が周到な不可欠です!
残された時間がたとえ1日であっても事前準備に有効活用してゆきます!
さて、今回は戦友会について取り上げてゆきたいと思います。
戦友会とはかつて大東亜戦争中に同じ部隊などに所属した方同士の会のことで、主に戦死させた方の慰霊や親睦を目的としています。近年では戦友の方の以外にも遺族や有志が会員となれる会もあります。(理由はあとで述べます)
戦友会 - Wikipedia
かつては多くの戦友会が開催されており、シンガーソングライターのさだまさしさんの歌にも出てきたほどです。
日本国民男子のほとんどが出征していたことを当たり前とも言えますが・・・
しかし終戦から68年が経ち、近年では会員数の減少、高齢化のため解散する戦友会も多くあります。一方で遺族や有志の参加を認め、存続をはかる会もあります。全国ソロモン会でもこれを認めており、私は戦友ではありませんが全国ソロモン会の会員です。
お寺や神社、公園などの片隅にひっそりと佇む慰霊碑、忠魂碑などをよく見ると「○○会」「△△生存者の会」と書いてあり、往時を偲ぶことができます。似たものとしては靖国神社の境内に植えられている桜にかけられている看板があります。
戦友会ではかつては独自で厚生省(当時)、外務省などと折衝し、実戦を経験された方々が遺骨収集団を組織されていました。(当時の映像をYOU TUBEに公開しましたので是非ご覧下さい。)
我が自主派遣隊も先輩方の活動を見習って始まりました。
ガダルカナル島自主派遣隊は全国ソロモン会とJYMA日本青年遺骨収集団と第二師団勇会が活動母体となっています。
今回は実際の戦友の方々は参加されませんが、先輩方の思いを若い世代でしっかりと噛み締め、現地では活動いたします!
ブーゲンビル島遺骨収集① 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集② 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集③ 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集④ 昭和43年 全国ソロモン会
ブーゲンビル島遺骨収集⑤ 昭和43年 全国ソロモン会
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皆さんこんばんは!
今回は私にとって遺骨収容とは何であるかということをテーマにしたいと思います。
以下の内容はあくまで管理人の個人見解ですのでご注意下さい。
このことを書こうと思った理由は最近私がこの活動をしていることを知った方々から「趣味で骨拾いやってるんだって?」「拾ってきて部屋にでも飾っとるの?」というようなことを言われることがあるからです。
派遣隊員の中にも同じような経験をした方もいるようです。
でははたして、私にとって御遺骨の収容活動は趣味なのでしょうか?
答えは「いいえ」です。
言っている本人は悪気がないのかもしれませんが、非常に失礼な発言であるといえます。
失礼というのはもちろん、私に対してではなく、御英霊に対してです。
そもそも趣味というのは道楽、遊びのことです。
われわれは遊びで戦没者の御遺体を収容しているのでしょうか?
もちろん違います。
人生を仕事(生活の糧を得る活動)と遊び・趣味(仕事以外余暇の過ごし方、楽しむために行う活動)で分けるならばこの活動はどちらに入れるべきなのでしょうか?
私はこのどちらでもないと思います。「ライフワーク」とでもいうべきなのかもしれません。
しかし、ライフ「ワーク」とはいうものの、お金が入ってくるわけでもなく、かといって楽しむためでもない活動を何のために私は行っているのでしょうか?
文字であらわすには非常に難しく、言い出したらきりがありませんが理由は二つといえます。
一つには申し訳なさ、一つには責任感があります。
戦争が終わってはや70年近くにもなるというのに、国家に一身を捧げた方の亡骸が異国の太陽の日もろくに当たらないジャングルに放置されているのは申し訳ないの一言に尽きます。
このことは現地に行けば行くほど切実に感じました。また、今まで慰霊、遺骨収容活動の中心となってこられた方々が年々お年を召されてゆくのを見ると現状を打破するのは、若い我々しかいないのだという責任感ともいえるものを感じています。
また、このような活動の末席に加えていただき、御英霊を祖国にお連れすることができるのは非常に名誉であると、光栄であると、悦ばしいことであるといえます。強いて言うならばこれが「楽しい」の代わりといえるものなのかもしれません。
(おしらせ)
第三次自主派遣隊員の志願書申込み締切が近付いております!ご参加される方はお早めにお願いいたします!
*申込書平成25年5月1日(水) 事務局必着(詳しくはこちらをご覧ください)
第三次自主派遣隊の申し込みは終了いたしました。御志願ありがとうございました。
また、5月5,6日には合宿研修会・説明会・面談を予定しております。
このご様子もまた、ブログにてご報告できればと思います。
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今回は私にとって遺骨収容とは何であるかということをテーマにしたいと思います。
以下の内容はあくまで管理人の個人見解ですのでご注意下さい。
このことを書こうと思った理由は最近私がこの活動をしていることを知った方々から「趣味で骨拾いやってるんだって?」「拾ってきて部屋にでも飾っとるの?」というようなことを言われることがあるからです。
派遣隊員の中にも同じような経験をした方もいるようです。
でははたして、私にとって御遺骨の収容活動は趣味なのでしょうか?
答えは「いいえ」です。
言っている本人は悪気がないのかもしれませんが、非常に失礼な発言であるといえます。
失礼というのはもちろん、私に対してではなく、御英霊に対してです。
そもそも趣味というのは道楽、遊びのことです。
われわれは遊びで戦没者の御遺体を収容しているのでしょうか?
もちろん違います。
人生を仕事(生活の糧を得る活動)と遊び・趣味(仕事以外余暇の過ごし方、楽しむために行う活動)で分けるならばこの活動はどちらに入れるべきなのでしょうか?
私はこのどちらでもないと思います。「ライフワーク」とでもいうべきなのかもしれません。
しかし、ライフ「ワーク」とはいうものの、お金が入ってくるわけでもなく、かといって楽しむためでもない活動を何のために私は行っているのでしょうか?
文字であらわすには非常に難しく、言い出したらきりがありませんが理由は二つといえます。
一つには申し訳なさ、一つには責任感があります。
戦争が終わってはや70年近くにもなるというのに、国家に一身を捧げた方の亡骸が異国の太陽の日もろくに当たらないジャングルに放置されているのは申し訳ないの一言に尽きます。
このことは現地に行けば行くほど切実に感じました。また、今まで慰霊、遺骨収容活動の中心となってこられた方々が年々お年を召されてゆくのを見ると現状を打破するのは、若い我々しかいないのだという責任感ともいえるものを感じています。
また、このような活動の末席に加えていただき、御英霊を祖国にお連れすることができるのは非常に名誉であると、光栄であると、悦ばしいことであるといえます。強いて言うならばこれが「楽しい」の代わりといえるものなのかもしれません。
(おしらせ)
第三次自主派遣隊員の志願書申込み締切が近付いております!ご参加される方はお早めにお願いいたします!
*申込書平成25年5月1日(水) 事務局必着(詳しくはこちらをご覧ください)
第三次自主派遣隊の申し込みは終了いたしました。御志願ありがとうございました。
また、5月5,6日には合宿研修会・説明会・面談を予定しております。
このご様子もまた、ブログにてご報告できればと思います。
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2012年8月に行いました第二次自主派遣隊の活動を紹介するスライドがYOU TUBEにて公開されましたのでご紹介いたします。
第一次自主派遣隊のスライドも引き続き公開中です!
こんにちわ!お久しぶりです!
さて、名古屋では桜もすっかり散り、そろそろ梅の実も見受けられる時期になってまいりました。
さて前回予告した当派遣隊制服についてです!

写真はアウステン山慰霊碑前にて集結した派遣隊
上記の写真から見てとれるかと思いますが、カーキ色の作業服上下に日の丸(JYMA隊員はJYMAワッペンを併用)、同色の帽子が当隊の制服になります。ベルトはバンドは同色、バックルは黒、端の部分は1cmで切断するように統一されています。
もともとは2,3年前より全国ソロモン会にて採用されていたものをさらに派遣隊用にふさわしく改変し採用しました。
いうまでもありませんがジャングルの中では動くのに適した機能性が求められ、さらに、はたから見た精悍さが求められます。また、全員で同じ服装を身につけることによって団結心を得ることができたことは前回お伝えしたとおりです。
余談ですが、隊長殿が初めて密林にに行かれた時はお寺でいつも来ている作務衣を”当然のごとく”着て行かれたそうですが、引っかかるわ、動きにくいわで大変だったそうです^^;

画像は作務衣(注:隊長殿ではありません笑)
ちなみにこの制服は通常”活動服”と呼ばれています。「ベルトの端を一センチ残して切断」やら「活動服」という名称を聞いてピンと来るかたもおられるかもしれませんが、これはもともと消防の文化です。隊長殿は平素は地元消防団員として活躍されているため、消防の文化が派遣隊でも取り入れられることとなりました。ちなみに自衛隊にも似たような文化があり、こちらは「ベルトの端を三センチ残して切断」し、制服(迷彩服)を「作業服」と呼称します。
部屋の片隅につり下がった「活動服」をみて「嗚呼、あのころよ戻って来い!」と心の中で叫ぶ管理人でした。
さて、名古屋では桜もすっかり散り、そろそろ梅の実も見受けられる時期になってまいりました。
さて前回予告した当派遣隊制服についてです!

写真はアウステン山慰霊碑前にて集結した派遣隊
上記の写真から見てとれるかと思いますが、カーキ色の作業服上下に日の丸(JYMA隊員はJYMAワッペンを併用)、同色の帽子が当隊の制服になります。ベルトはバンドは同色、バックルは黒、端の部分は1cmで切断するように統一されています。
もともとは2,3年前より全国ソロモン会にて採用されていたものをさらに派遣隊用にふさわしく改変し採用しました。
いうまでもありませんがジャングルの中では動くのに適した機能性が求められ、さらに、はたから見た精悍さが求められます。また、全員で同じ服装を身につけることによって団結心を得ることができたことは前回お伝えしたとおりです。
余談ですが、隊長殿が初めて密林にに行かれた時はお寺でいつも来ている作務衣を”当然のごとく”着て行かれたそうですが、引っかかるわ、動きにくいわで大変だったそうです^^;

画像は作務衣(注:隊長殿ではありません笑)
ちなみにこの制服は通常”活動服”と呼ばれています。「ベルトの端を一センチ残して切断」やら「活動服」という名称を聞いてピンと来るかたもおられるかもしれませんが、これはもともと消防の文化です。隊長殿は平素は地元消防団員として活躍されているため、消防の文化が派遣隊でも取り入れられることとなりました。ちなみに自衛隊にも似たような文化があり、こちらは「ベルトの端を三センチ残して切断」し、制服(迷彩服)を「作業服」と呼称します。
部屋の片隅につり下がった「活動服」をみて「嗚呼、あのころよ戻って来い!」と心の中で叫ぶ管理人でした。
実は先日、日帰りで千鳥ヶ淵墓苑での硫黄島からの遺骨帰還式に参加してまいりました。昨年は渇水のため2回しか実施されませんでしたが、今回189柱、前回の155柱と合わせて344柱のご遺骨をお迎えしました。
入間基地に御遺骨が到着した際には隊員総出で出迎えが行われたとのことです。また、帰還式には、関係者、ご遺族のほかに前回一回目に参加をして今回も行った方、行かなかった方も含めて多くの方が参列されていました。
ここで不思議なのは、なぜ入間基地に帰ってきた御遺骨には壮大な出迎えが行われるのに、諸外国から成田空港に帰ってきた御遺骨には全くこれがなされないのか?
また、式に一般の国民の姿があまり見られないのか?ということです。戦没された方々は現在の国民を含めての「日本」のために戦ったのだから、身内であるないにかかわらず多くの国民がこういった式典には参列すべきだと思います。
やはりこのような行事を知らない人が多いのが一因とも考えられますので、そういった面でもっとface bookやブログなどを活用してゆきたいとも思います。
ちなみに2月27日(月)から3月9日(金)まで今年度のソロモン諸島遺骨帰還政府派遣が行われます。
日本に帰ってきた御遺骨は3月9日(金)午前10時30分より千鳥ヶ淵墓苑にて派遣団より厚生労働省に引き渡され、同時に拝礼式なども行われます。是非お時間のある方には御参列いただければと思います。
詳しくは厚生労働省のHPよりご覧ください。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2011/07/tp0725-1.html
※豆知識1
ちなみに、式への一般国民の参加については、同じようなことを愛知県護国神社の宮司さんから伺ったこともありますが、耳にした時は「おっしゃる通りだな!」と深く心に残ったのです。
※豆知識2
あと、その昔は羽田空港が唯一の国際空港だった時代には、自衛隊の儀仗隊が御遺骨の出迎えに来ていたとの話も伺ったことがありますが、いつの間にかなくなってしまったようです。
入間基地に御遺骨が到着した際には隊員総出で出迎えが行われたとのことです。また、帰還式には、関係者、ご遺族のほかに前回一回目に参加をして今回も行った方、行かなかった方も含めて多くの方が参列されていました。
ここで不思議なのは、なぜ入間基地に帰ってきた御遺骨には壮大な出迎えが行われるのに、諸外国から成田空港に帰ってきた御遺骨には全くこれがなされないのか?
また、式に一般の国民の姿があまり見られないのか?ということです。戦没された方々は現在の国民を含めての「日本」のために戦ったのだから、身内であるないにかかわらず多くの国民がこういった式典には参列すべきだと思います。
やはりこのような行事を知らない人が多いのが一因とも考えられますので、そういった面でもっとface bookやブログなどを活用してゆきたいとも思います。
ちなみに2月27日(月)から3月9日(金)まで今年度のソロモン諸島遺骨帰還政府派遣が行われます。
日本に帰ってきた御遺骨は3月9日(金)午前10時30分より千鳥ヶ淵墓苑にて派遣団より厚生労働省に引き渡され、同時に拝礼式なども行われます。是非お時間のある方には御参列いただければと思います。
詳しくは厚生労働省のHPよりご覧ください。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2011/07/tp0725-1.html
※豆知識1
ちなみに、式への一般国民の参加については、同じようなことを愛知県護国神社の宮司さんから伺ったこともありますが、耳にした時は「おっしゃる通りだな!」と深く心に残ったのです。
※豆知識2
あと、その昔は羽田空港が唯一の国際空港だった時代には、自衛隊の儀仗隊が御遺骨の出迎えに来ていたとの話も伺ったことがありますが、いつの間にかなくなってしまったようです。
こんばんわ!昨日、久々に痛飲してソファーで寝てしまった管理人です。
大学生を4年間やってきましたが、最近、昔(飲み始めたころ)に比べて、酔うことが少なく、また、かなり酔っても前後不覚になることが少なくなったなと思う今日この頃です。
お酒といえば、初めてソロモンから行って帰ってきた後、飲んだ日本酒が非常にうまく感じられ、その後、戦地を訪れる際にはその地で散華した部隊の出身地の地酒を持って行くようにしています。御英霊にとっても、地元のものが一番なのではないでしょうか?
グアムに行った際には名古屋の「ねのひ」
硫黄島に行った際にはこれまた名古屋の「鬼殺し」
ソロモンには新発田の「菊水」と会津若松の地酒(名前は忘れてしまいました汗)を持っていったことが思い出されます。
また、ソロモンの場合はお酒以外にも会津若松の聯隊跡地のすぐわきの酒蔵の井戸水も持って行きました。
ちなみに、慰霊の際、玉砕部隊の出身地の地酒を持って行くのは少数派で、ほとんどの方は靖国のお神酒を持って行かれます。

持っていったお酒は慰霊法要の際、撒いたり、毎朝の拝礼式の際、お供えしたりしていました。
いまさらになりましたが、ほんのわずかですが、どうぞ喉をうるおしてください。
大学生を4年間やってきましたが、最近、昔(飲み始めたころ)に比べて、酔うことが少なく、また、かなり酔っても前後不覚になることが少なくなったなと思う今日この頃です。
お酒といえば、初めてソロモンから行って帰ってきた後、飲んだ日本酒が非常にうまく感じられ、その後、戦地を訪れる際にはその地で散華した部隊の出身地の地酒を持って行くようにしています。御英霊にとっても、地元のものが一番なのではないでしょうか?
グアムに行った際には名古屋の「ねのひ」
硫黄島に行った際にはこれまた名古屋の「鬼殺し」
ソロモンには新発田の「菊水」と会津若松の地酒(名前は忘れてしまいました汗)を持っていったことが思い出されます。
また、ソロモンの場合はお酒以外にも会津若松の聯隊跡地のすぐわきの酒蔵の井戸水も持って行きました。
ちなみに、慰霊の際、玉砕部隊の出身地の地酒を持って行くのは少数派で、ほとんどの方は靖国のお神酒を持って行かれます。

持っていったお酒は慰霊法要の際、撒いたり、毎朝の拝礼式の際、お供えしたりしていました。
いまさらになりましたが、ほんのわずかですが、どうぞ喉をうるおしてください。