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7月6日は海軍飛行場設営隊、ガダルカナル島に上陸の日!(昭和17年)
と書いているそばから、すでに7月7日なわけですが^^;;

今から69年前にガダルカナル島の戦いの第一歩が開始されたと考えると、何気なくすごしてしまった1日が非常に重要に思えてくるから不思議なものです。

約70年前に使われた野砲や飛行機などがいまだにガダルカナルには多く残っています。また、ご遺骨とともにボタンやベルトのバックルなどの小物も出てくるときもあり、そういったものを見ると本当にここで一人の人間がなくなったんだなと(当たり前ですが)感じます。そのためか護国神社などに建立されている部隊の慰霊碑などを見ると知人のお墓を見ているような、決して他人事とは思えないようになりました。

田舎などに行くと昔建立された忠魂碑などが墓地に残っている場合もありますが、多くはあまり管理されていないような印象を受けます。やはりこういうものは国がしっかり管理してゆくものなのでしょう!

ちなみに現在、隊長殿はガダルカナル島に二回目の偵察に行かれています。(前回は私も一緒に行きました!)
今回の偵察でより万全の準備で派遣を行い、一柱でも多くの御英霊をお迎えできるよう励んでゆきたいしだいです!
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2011/07/07(Thu) | 戦史 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
丸山道の由来(プチガダルカナル戦記)
前回の更新から一ヶ月以上経ってしまった本ブログですが久々の更新です
前回「丸山道の由来とはなんぞ?」と言うコメントをいただきましたのでそれにお答えしたいと思います。

丸山道の「丸山」とは、第二師団長丸山政男中将の名前に由来しています。
ガダルカナル島の戦いは一行で言うならば「作ったばかりの飛行場を米軍にとられた日本軍が米軍から取り戻しに行った戦い」といえます。

最初は一木支隊が海岸沿いから攻撃しましたが、敵防御陣地に正面から突撃する形になってしまい失敗してしまいます。
続いて、川口支隊が上陸し、攻撃を行います。(第一次総攻撃)
このとき

海岸沿いに攻撃したならば一木支隊のようにやられてしまう、じゃあ、飛行場の背後のジャングルを切り分けて攻撃すればいいんじゃないか!?

ということでジャングルを切り開いて(切り開いてといっても獣道程度ですが)飛行場背後より攻撃しました。
しかし、ジャングルに阻まれ、部隊が混乱し失敗に終わります。(第一次総攻撃)

このとき切り開かれたのは丸山道とは別経路です。この道と丸山道との違いをわかりやすくいうならば飛行場を東側から行く経路がこちら、西からの経路が丸山道ともいえます。

そして次に第二師団(丸山政男中将)と第38師団が上陸してきます。
そして今回は海沿いとジャングルからの両面攻撃(海沿いは陽動)を行いました。
このとき切り開かれたのが「丸山道」なのです。
ちなみにこのときもジャングルに阻まれ足並みがそろわず、また、米軍の集音マイクに事前に察知され失敗に終わります。(第二次総攻撃)

ちなみに第一次総攻撃の際に戦闘が行われた地域は血染めの丘またはムカデ高地と呼ばれます。米軍ではエドソンリッジと呼ばれます(Edson Ridge )この付近にも多くのご遺骨が残っているはずですが、ガダルカナル島に隣の島から越してきたマライタ人がすんでおり、治安が確保できないためなかなか収集活動ができていません。(昔はできていたんですけどね)

ちなみにゲームでこのムカデ高地の戦いを再現しているものがありましたのでご紹介します
http://www.youtube.com/watch?v=Le4D-5RaQPo
今はもっと木が少ないような気がしますが・・・

再現といっても、現地の熱気、湿気はないし、死んでも生き返るし、腹は減らないし

現実とは、ほど遠いですが参考までに。

*5月11日午前1時追記:以下の1点の語彙を修正いたします。申し訳ありませんでした。
マラタイ人⇒マライタ人
2011/04/27(Wed) | 戦史 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
未だに残る日本兵伝説
ブログ開設以来出版物の紹介とご挨拶しかしてないじゃないかぁぁっっ!!!

ということで現地での日本兵伝説の話をします。

ふと思い出したのですが、隊長殿は僧侶をされています。
現地での迫力の*読経のおかげでお経の始まりを覚えてしまいました。

*読経・・お経を読むこと

早速、本題からずれましたが日本兵伝説です。

半世紀を超えても語り継がれるどのような伝説かというと強かったということです。

我々がジャングルの中に入るときはいつも現地の方々に手伝ってもらっています。
ジャングルの中に入ったことがない方にはわからないかもしれませんが、ジャングルの中というのは一面緑であり、入った瞬間に遭難してしまいます。これは大げさな表現ではなく本当に迷います!
しかも、80度に近い坂道やぬかるみ等まともに歩けたものではありません。

しかし現地の方は、その環境の中をTシャツ、短パン、片手にマシェッタ、背中に荷物ですいすい迷うことなく移動していきます。運べる荷物の量も我々よりはるかに多く、文字通りスーパーマンです。

しかし、その彼らが口をそろえて「日本軍はすごい」といいます。
「あんな重い武器弾薬を担いでジャングルの中を移動するなんて俺でも無理だ」
「母が日本兵一人で大きな丸太一本を運んでいるのを見たそうだが、絶対俺にはできない」

などなど、我々から見てスーパーマンの彼らがすごいと思う我々の先人たちがどれほど屈強だったのか・・・想像してもしきれません。

未だにジャングルの中には、多くの遺物が残されています。鉄カブト、小銃弾、*擲弾筒弾、電話線のリール、*エンピetc...鉄なので当たり前ですが、どれも手に取るとずっしりと重く、こんな重いものを持ってよくもここまで来たものだなと感嘆するばかりです。

*擲弾筒・・・小型迫撃砲のようなもの。米軍は「knee mortor」と訳していましたが、ひざに当てて打つと骨が折れます。地面につけて打ちませう。

*エンピ・・・シャベルのこと。土を掘るだけでなく、近接戦では、エイヤッ!と使えたりする万能ツール。未だに鉄の部分が残っているので、現地の人が柄の部分を即席で作って使ったりしている。彼らいわく「made in Japan. Still useful! 」(訳:さすが日本製!まだ使えるぜ!)


半世紀以上たっても「日本人すごいね」といってもらえ、後世の我々が胸を張って生きていけるほどの苦行をしていただいたのに、未だに日の光もろくに浴びれぬジャングルの土の中に先人を放置しているのだなと考えると悲しくなります。

先人が残してくれた偉業の恩返しのためにも、早く日本の土を踏んでいただきたいですね。



自分も半世紀以上たっても「日本人スゲェ!」と語り継いでもらえる仕事ができれば「男子の本懐」だな~と考えながら、ESも書かずにブログを書いている管理人でした。



2011/02/24(Thu) | 戦史 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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