お久しぶりです!すっかり間が空いてしまい、年まで越してしまいました(汗)
大変遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
当派遣隊では引き続き1柱でも多くの御遺骨が祖国日本に帰還できるよう努める所存であります。
さて、前回に引き続き第3次派遣隊に参加したIさんからの寄稿を紹介します!
今回は現地での活動にスポットが当てられています!
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こんにちは。第3次自主派遣隊員のIです。前回に引き続き、当隊の活動内容を紹介いたします。
8月26日(日)より、後発隊も加わっての遺骨収容活動が開始しました。今回は首都ホニアラの中心街から10キロほど内陸部に入ったところにある、第一野戦病院跡を中心とする『丸山道』で活動を行います。丸山道全行程のちょうど中央付近にあたりますが、病院といっても何か建物や設備があったわけではありません。そこへ進出するためにはルンガ川を渡る必要があり、川を渡る手前の河原に野営地を設営しました。
野営地では、テントを設置するとともに、現地人の協力を得て、祭壇、炊事場、トイレなどを設営します。祭壇は、収容した遺骨を安置するためのものです。お供物を供え、朝夕は仏式の法要と神式の拝礼をします。
舟艇によるピストン輸送でルンガ川を渡河して、5つの小隊に分かれて活動が始まりました。
現地人とともに、遺骨が埋没していると想定される場所を掘削していきます。我々は携帯円匙(スコップ)を使いますが、現地人は刃が50センチはあろうかというブッシュ・ナイフを使って、器用かつ大胆に土を掘っていきます。
我々の活動にとって、現地の方々の協力は不可欠です。彼らは密林内を知り尽くしているだけではなく、その屈強な身体と様々な知恵で我々の活動を助けてくれます。密林内を進むにも彼らがブッシュ・ナイフで藪や低木をなぎ払ってくれないと進めませんし、先述の野営地設営も彼らの協力があってこそ達成し得るのです。密林内では、地形や植生などの周辺環境や土質から、御遺骨がありそうな場所の見当もつくようです。
掘削には体力が必要です。土は硬く、もとより熱帯雨林の中、熱気と湿気ですぐに汗だくになります。「日本からお迎えに参りました。どうぞ我々の前に現れてください」。心の中でそう言いながら、土を掘っていきます。
御遺骨が見つかると、バナナの木から葉を何枚か切ってきて即席の安置台を作り、お線香や供物をお供えして、僧侶隊員が読経します。他の隊員も皆合掌して英霊の冥福を祈ります。御遺骨は骨片しか見つからない場合もありますが、中には大腿骨のような大きな部位や、頭蓋骨をそのままの形で収容できることもあります。
ただ祖国と家族のためを想い、遙か南洋の密林の中で戦って、飢えと病の中悲壮な最期を遂げた英霊は、誰からも見つけてもらうことなく、どのような思いで待っていたでしょうか。今ようやく、七十年の長い時間を経て、再び地表に出して差し上げることができました。これらの御遺骨には、彼ら一人一人の人生が詰まっ ているんだと、御遺骨が見つかるたびに我々隊員は強く感じました。
28日に野営地を引き払うまで、先発隊の活動期間も含めて足かけ9日間で、当方面では合計36柱の御遺骨を収容させて頂くことができました。
次回は、焼骨式の様子などについて紹介したいと思います。
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<告知>
第一次自主派遣隊の活動が「歴史群像」に掲載されました!
*新聞報道のお知らせ
8月10日付読売新聞(夕刊)と8月15日付け産経新聞(朝刊)に当派遣隊が掲載されました。
・産経新聞「大学生「一柱でも多く日本に」 ガダルカナル島で17日から遺骨収集活動」
・読売新聞「激戦の島 学生が遺骨収集」
2012年8月に行いました第二次自主派遣隊の活動を紹介するスライドがYOU TUBEにて公開されましたのでご紹介いたします。
第一次自主派遣隊のスライドも引き続き公開中です!
大変遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
当派遣隊では引き続き1柱でも多くの御遺骨が祖国日本に帰還できるよう努める所存であります。
さて、前回に引き続き第3次派遣隊に参加したIさんからの寄稿を紹介します!
今回は現地での活動にスポットが当てられています!
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こんにちは。第3次自主派遣隊員のIです。前回に引き続き、当隊の活動内容を紹介いたします。
8月26日(日)より、後発隊も加わっての遺骨収容活動が開始しました。今回は首都ホニアラの中心街から10キロほど内陸部に入ったところにある、第一野戦病院跡を中心とする『丸山道』で活動を行います。丸山道全行程のちょうど中央付近にあたりますが、病院といっても何か建物や設備があったわけではありません。そこへ進出するためにはルンガ川を渡る必要があり、川を渡る手前の河原に野営地を設営しました。
野営地では、テントを設置するとともに、現地人の協力を得て、祭壇、炊事場、トイレなどを設営します。祭壇は、収容した遺骨を安置するためのものです。お供物を供え、朝夕は仏式の法要と神式の拝礼をします。
舟艇によるピストン輸送でルンガ川を渡河して、5つの小隊に分かれて活動が始まりました。
現地人とともに、遺骨が埋没していると想定される場所を掘削していきます。我々は携帯円匙(スコップ)を使いますが、現地人は刃が50センチはあろうかというブッシュ・ナイフを使って、器用かつ大胆に土を掘っていきます。
我々の活動にとって、現地の方々の協力は不可欠です。彼らは密林内を知り尽くしているだけではなく、その屈強な身体と様々な知恵で我々の活動を助けてくれます。密林内を進むにも彼らがブッシュ・ナイフで藪や低木をなぎ払ってくれないと進めませんし、先述の野営地設営も彼らの協力があってこそ達成し得るのです。密林内では、地形や植生などの周辺環境や土質から、御遺骨がありそうな場所の見当もつくようです。
掘削には体力が必要です。土は硬く、もとより熱帯雨林の中、熱気と湿気ですぐに汗だくになります。「日本からお迎えに参りました。どうぞ我々の前に現れてください」。心の中でそう言いながら、土を掘っていきます。
御遺骨が見つかると、バナナの木から葉を何枚か切ってきて即席の安置台を作り、お線香や供物をお供えして、僧侶隊員が読経します。他の隊員も皆合掌して英霊の冥福を祈ります。御遺骨は骨片しか見つからない場合もありますが、中には大腿骨のような大きな部位や、頭蓋骨をそのままの形で収容できることもあります。
ただ祖国と家族のためを想い、遙か南洋の密林の中で戦って、飢えと病の中悲壮な最期を遂げた英霊は、誰からも見つけてもらうことなく、どのような思いで待っていたでしょうか。今ようやく、七十年の長い時間を経て、再び地表に出して差し上げることができました。これらの御遺骨には、彼ら一人一人の人生が詰まっ ているんだと、御遺骨が見つかるたびに我々隊員は強く感じました。
28日に野営地を引き払うまで、先発隊の活動期間も含めて足かけ9日間で、当方面では合計36柱の御遺骨を収容させて頂くことができました。
次回は、焼骨式の様子などについて紹介したいと思います。
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*新聞報道のお知らせ
8月10日付読売新聞(夕刊)と8月15日付け産経新聞(朝刊)に当派遣隊が掲載されました。
・産経新聞「大学生「一柱でも多く日本に」 ガダルカナル島で17日から遺骨収集活動」
・読売新聞「激戦の島 学生が遺骨収集」
2012年8月に行いました第二次自主派遣隊の活動を紹介するスライドがYOU TUBEにて公開されましたのでご紹介いたします。
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